2013年6月1日土曜日

那須疎水と蛇尾川

以前から気になっていた「那須疎水」に会津のツーリングの帰りに行ってみました。

那須疎水とは、内閣府直轄の国営事業によって開かれたもので、安積疎水、琵琶湖疎水と並び、日本三大疎水の一つに数えられます。
那須塩原市西岩崎の那珂川右岸から取水し、千本松に至る約十六キロメートルの本幹水路、四本の分水路とそこから分かれる多くの支線水路が、約一万ヘクタールに及ぶ那須野ヶ原の開拓地をうるおしました・・・・と、書かれた施設案内のある疎水公園が那須疎水のスタート地点となります。
清らかな那珂川の畔にある公園で釣りなど楽しむ人もいる和やかな公園です。


上の写真右手に見えるのが東水門(第一次・第三次取水口)で、明治十八年に建設された物です。


公園内には嘗ての取水施設跡が当時の状態で残っております。
この取水施設は水に乏しい那須野ヶ原開拓地の飲用・水田灌漑と目的に建設された那須疎水の施設で、明治期有数の規模を誇る貴重な土木遺産なのです。

これからこの那須疎水を追いかける旅となります。
疎水公園の駐車場を出るとすぐに疎水橋があります、那珂川から分流したての那須疎水にかかるめがね橋です。


新旧のめがね橋が寄り添うにように架かっています。
写真左の旧疎水橋は明治三十八年にかけられたもので、現在より数十メートル北西にありましたが、復元と共に現在の位置に移されたそうです。


疎水橋の上からの眺めです、この水が那須野ヶ原をうるおすのです。


青く清らかな流れはこの先はトンネルの中を通り那須野ヶ原の大地へと流れて出て行きます。

トンネルの出口を探してバイクを走らせます。


やっと那須疎水の流れを見つけました。


那珂川の取水口あたりでは那須野ヶ原の地表より数十メートル下にあった那須疎水が、ここではグランドレベルまで上がってきました。
ここから先は暫く那須疎水とバイクを並走する事ができます。
風薫る5月にゆったりと流れと共にバイクを走らせるのは本当に気持ちがいい。

ここから那須疎水は那須野ヶ原を横断して千本松方面に流れて行くのですが、途中に熊川、蛇尾川(さびがわ)を横断する事になります。


ここは蛇尾川の川底です。
熊川も蛇尾川も水無川で普段は地表には水は流れおらず、伏流水となって地下を流れています。
那須疎水が作られる様になったのはこの地質のが起因となっているのです。
那須野ヶ原は火山灰と砂礫が積み重なった扇状地で、この蛇尾川の水も地下に染み込んでしまう程に水はけのよい土地で、水の確保が困難で農地としも人が住むのも不向きな土地でした。

さて那須疎水はどこに行ったかというと、この枯れ川の写真の下あたりをトンネルで横断しているのです。


ここで那須疎水はトンネルで地下に潜り蛇尾川を横断します。
NC700Xではいくら水が無くても、ここでの横断はできませんので橋のあるところまで移動して蛇尾川を渡ります。

蛇尾川の横断地点から大きく迂回して出口に向かいます。


那須疎水はサイフォンの原理を利用して蛇尾川の地下を横断しております。


ここは昔のサイフォン出口です。


これは旧サイフォンを復元した物です、蛇尾川の河原の石を取り除き、石積みのトンネルを埋めて、また石を被せたそうです。
そして現在のサイフォン出口です。


青い水が地下より懇々と湧くと言うよりも、ドバドバと湧き上がってきます。
これは凄い迫力です。


那須疎水はこの先は分水しながら千本松方面に流れ最終的には大田原まで行くのですが、ここで気になるのが蛇尾川です。
伏流水となって地下を流れる蛇尾川ですが、どこかで地表に出てくる所があるはずです。
今度はその地点を探しに行く事にします。
地図では枯れ川になってる所は点線で表記されてますが、大田原辺りで実線になってます。
とりあえずその地点に移動します。


那須塩原市と大田原市の市界あたりの今泉という場所です。
土手沿いの道は薮が凄く河原に容易に近づくことができませんでした。
橋の上から眺めることしかできませんでしたが、所々に水たまりがあり、このあたりから湧いてるのかなと言った感じです。
サイフォンの様にドバドバと湧いている様を想像したのですが・・・・時間がある時に
もっと深く探ってみる事にします。



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